ざっくり論点解剖
・「視点を合わせる」と「視線を合わせる」は違う
・「視点」よりも「視座」が大事。
・「視座」が合わさると「視線」が合わさる。
・「上の人」は「下の人」と「視座」を合わせられるが、「下の人」は合わせられない。
・独り善がりは「視座」の考えが足りない。
・「視座」はビジネスだけでなく日常生活でも大切な概念
はじめまして。管理人totomanjuと申します。
このブログはワタシの興味、好奇心に基づいて蓄積していった経験や知識を様々なことに応用している過程を、しれっとホソボソと綴っているわけなんです。
本業の傍らの副業執筆作業なのでどうしても時間的制約はあります。
が、本業で出会えた友人や同僚、後輩たちは、家にこもってたら出会えない人たちばかりです。
なので、本業を辞めるか?と聞かれたら、今は個別のコンサル対応も何とかできているので「現時点ではやめない」というところでしょうか。
それに誰とも話さず、PCと睨めっこというスタイルはやれば出来ますが、個人的には肌に合わず好ましくないですね。
口下手コミュ障なのにおかしいですね(笑)
やはり、人間は唯一「言語を操る動物」なわけなのですから、コミュニケーションを通してこそ、新たな気付きを得られると思っています。
ほかにも、副業面だけではなく、教育理論、心理学などの他分野にも好奇心が駆られるので備忘録としても綴っていきますよ。
こういう分野は、一見何の関係もなさそうな気もしますが、視点を変えると何気に副業面でも活用できるマインドだったりするんです。
「ネット副業=ネットだけの知識」と結びつけるのではなく、ネットから離れた分野でも視野は広がるんですよね。
その逆も然りで、ネットビジネスなどで培われた知識はリアルのビジネスだったり日常生活に組み入れることも勿論出来ますね。
ということで、今回のテーマは「視点と視座」
「視点」って言葉はよく聞きますよね。酒に飲まれると目の視点が合わなくなるとか使いますよね。
分かっているんです、酒は飲んでも飲まれるな。
よく言われます…、はい、気をつけます…。
ちなみにですが「視点」と「視線」の違いはご存知でしょうか?
「視点」は、そのままですが、見ている「ポイント(点)」ですね。
「視線」は見ている方向「ベクトル(矢印)」だと捉えられます。
同じ一つの「ポイント」を見ることには変わりがなくても、視線には自分が見る場所の違いで「傾き」が生じたりしますよね。
一つ例を挙げてみましょう。
東京タワーの「先端」という一つの「ポイント」を見るにしても、あなたが地上から見ると視線は「上向き」になります。
が、ヘリコプターでのスカイクルージングですと、あなたの視線は「下向き」になりますよね。
これが「視点」と「視線」の違いなんですね。電車の行き先の例でも同様ですね。
終点駅がいわば「視点」で、そこまでのいくつもの停車駅の過程が「視線」という感じです。
ちょっと脱線しました。
では、テーマにある「視座」って言葉はどういうことでしょうか。
「視座」は簡単に言うと、読んで字の如くで「視る地点の座椅子」という感じが分かりやすいかと思います。
自分がドシっと座って視ている場所ってことですね。
職場でも、よく「自分は視点合わせてます!」とか「理想通りの関わりをしている!」とか、胸を張って言い切る人を散見します。
が、果たしてそうでしょうか?
「奥ゆかしさ」の日本人の中で、そういった自己アピール力は評価出来ますが。
理想的な関わりというのは、「座椅子を変えない」ただ上を見たり、下を見たりの「視点移動」だけではなく、「座椅子を対象に合わせる」ことでできる「視座移動」してこそ初めて成り立つのだと考えます。
「視座」が対象に合わさることで、「視線」が初めて水平、フラットに合わさるんですね。これがホントに大事なことなんです。
もっと噛み砕くと…
上の人は下の人の立場に立てます。(…立とうと思えば。ですが。)
⇒なぜなら、上の人は元々「下の人」を経験しているからですね。
一方、下の人は上の人の立場には立てません。
⇒なぜなら、下の人は、上の立場のイスに座ったことがないから。
ただただ、想像することでしか 出来ないんですね。
「視座」の相違点が招いてしまうもの
空がきれい。
じゃなくて。
この両者間における目には見えない「視座」の相違点が、目に見える不満や愚痴となって表面化されていくんです。
「あの先輩の考えていることわかんねぇ!」ですとか。
「あの子、こんなミスしてたんだよw」とかでしょうか。
後輩は上の人のポジションや立場になったことがないから、組織という集団の中でどのような役割を与えられ、日々の業務を遂行しなくてはならないのかが分かりません。
先輩は、自分が下の立場であったときに同様のミスをしている、ミスが起こる可能性が高いことを理解しているはずなのに、過去は棚に上げて笑い話にしてしまう。
言葉になって出てくる根本の問題は、この「視座」の認識なんだと思います。
下の人は、先輩について分かりもしないことをただ愚痴るのではなく、その先輩の周りから意見を聞いたりして歩み寄ってみる。
先輩は、下の人のミスを話のネタにするのではなく、かつての自分と重ねて「視座」を対等に対話してみる。
心の持ちようで如何様にもなるんです。
それでも漏れ出てしまう不平不満は、お酒というアルコールで心を消毒しましょう(笑)
ですが、あまりにも度が過ぎると、「不平不満サワー」とか「焼酎の愚痴割り」になってしまうので余計にスッキリしませんよ(笑)
少し脱線してしまいました。
この考えは、もちろん副業にも活きています。
ネットビジネスで成功している人と、これからネットビジネスに参入する人。
まさに、「上の人」と「下の人」の関係性ですよね。
ですから、如何に「上の人」が「下の人」へ、視点だけでなく、「視座」も合わせられるかで成長速度が変わってくるんですね。
ワタシも個別コンサルして感じるんですが、やはり、疑問点や改善点というのは、少なからず自分の体験と一致していくものなんですね。
ですから、「上の人」自分のやりたいように、独り善がりのコンテンツで突っ走っても「下の人」は付いてこれないわけです。
「下の人」は、その意図が分からないのですから。
自分が駆け出し時代に「何をしていいのか」が分からなかったことを思い出して、分かりやすいようにまとめることを念頭に置いていくことが大事ですよね。
すみません、管理人は突っ走っていますけど(汗)
ですが。
管理人totomanjuは縁があってこのブログに訪問していただき、大切な時間を使ってご覧になっている方々に失礼にならないようにという気持ちを忘れず一文字一文字書くことを心がけています。
今ワタシはPC画面と向かい合っていますが、その先には、このブログに訪問してくださってご覧になっている「あなた」に届くようにという意識でいます。
顔も名前も知らなくても関係ないですね。
「視座」を合わせることはリアルビジネスでも副業のネットビジネスでも大変重要な概念です。
みなさんも、自分が見ている対象の方と、「同じ高さの座椅子」になって視点を合わせていきましょう。
今回のまとめ
・「視点を合わせる」と「視線を合わせる」は違う
・「視点」よりも「視座」が大事。
・「視座」が合わさると「視線」が合わさる。
・「上の人」は「下の人」と「視座」を合わせられるが、「下の人」は合わせられない。
・独り善がりは「視座」の考えが足りない。
・「視座」はビジネスだけでなく日常生活でも大切な概念
本日も最後まで立ち寄ってくださり心から感謝いたします!
管理人totomanjuでした。