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「バイアス」の持つ影響力ってすごいですよね?

目次

ざっくり論点解剖

・クチコミサイトを見る時点で、実は勝負は決まっている
・「確証バイアス」は自分の思っているものだけを見ることになる
・バイアスフリーにすることで新たな発見もできる
・バイアスとヒューリスティックの関係は密ともいえる
・ヒューリスティックは生活を円滑にするためにも必要
・一つの常識は所変われば非常識にもなる。
・自分の「ものさし」だけで判断しない意識が思考の視野を広くする

 

クチコミ調べたりしますか?

こんにちは、こんばんは、おはようございます。管理人totomanjuです。
早速ですが、ものすごく気になって「これいいなー!」と思っている商品があるとします。

皆さん何かしらの商品を購入しようとするときクチコミを参考していますでしょうか?

「いや、他人のクチコミなんて信じない。自分の直感が一番や!」という人もいることでしょう。

 

ですが、多くの皆さんは、その商品に関する情報を雑誌やインターネットで少しずつ調べていくかと思います。そうして調べていくと、あまり評価の高いクチコミに巡り合いませんでした。

すると、「この商品は実は粗悪品だったんだ…危なかった…」と認識して購入をしない人、購入をせずに済んだ人もいることでしょう。

一方で、自分が「これいいなー!」と第一印象で強く思ったように、「どこかに高評価をしているクチコミがあるはずだ!」と、さらに探し続ける人もいることと思います。

このように自分の感情や、信じたい情報などを正当化しようとする行動は「確証バイアス」という心理的効果によって引き起こされているのですね。

簡単に説明すると、個人の先入観に基づいて他者だったり、物事だったりを観察して、自分に都合のいい情報だけを集めて、それにより自分の先入観を補強して、「自分の判断は間違っていない」と思い込む現象です。

いいとこばかりしか見ないということですね。

ですので、こういった「確証バイアス」が掛かっている人は、自分が良いと思った商品に対して100のクチコミの中で80がネガティブ評価でも20がポジティブ評価であれば、80のネガティブ評価は検討の余地に入ってこない、つまり自分の先入観通りの20のポジティブ評価のみフィーチャーして、あたかも100のように解釈するわけなんですね。

自分が本当だと思う証拠、確証を必死に探すのに対して、反対意見となるような証拠や論証には見向きもせず、無視やスルーするんです。むしろ探す努力すらしないことのほうが多いですね。

このように「確証バイアス」が掛かってしまう人は、どんなに情報を探しても、実は序盤でもう結果が出ているんですけどね。

いかに、バイアスフリーにして自分の先入観を取っ払うか。これが本当に重要なことなんだと強く思います。

 

「決めうち」が悪いわけではない

何もこのような「決めうち」が全て悪いわけではないことも触れておきますね。

誰もが義務教育で経験してきた算数、そのなかでも「掛け算九九」を例にしましょう。掛け算九九は皆さん誰もが暗唱出来ますよね。

そこの段階までに至るのに、お風呂場で父親に「言えるまで上がらせん!」と叩き込まれたり、板チョコのブロックを数えてみたり、何回も何回も反復で繰り返し習得していきましたよね。

これらを習得する事で複数桁×複数桁の計算が出来るようになっていくわけですね。

では、ここで思い出していただきたいのですが、みなさんは「掛け算九九」を習得した後で、掛け算九九の「確認作業」を毎回していますか?

例えば、「7×9=?」とあると「シチク=ロクジュウサン」が呪文のように咄嗟に思いつくと思いますよね。

よっぽどの心配症でもない限り「7+7+7+7+7+7+7+7+7=63」と確認することは習得初期ですらもほぼないと思います。

つまり「掛け算九九」のように反復して暗唱できるレベルまで習得したことで、「掛け算九九」の答えの「決めうち」が出来るようになり、「7+7+7+7+7+7+7+7+7=63」という過程を経ずに、「シチク=ロクジュウサン」と効率よく結果が導きだせるようになるということです。

このような一連のことをワタシは分かりやすく「決めうち」と書いてきましたが、心理学分野では「ヒューリスティック」というちゃんとした言葉があります。

この「ヒューリスティック」は、ワタシを含め皆さんの生活を円滑に進めていくためにも大切なものでもあるんですね。先ほどの掛け算九九の例でもお分かりになったかと思います。

日常生活における常識として認知されている判断などは、この「ヒューリスティック」が使われていると思って構わないと思います。

赤信号では一時停止する。
帰宅したら手を洗う。うがいする。風邪に気をつけましょう。
歯磨きしたら口をゆすぐ。
トイレで大きい方をしたらウォシュレット使う。トイレットペーパーで拭く。
etc…

…ちょっと上記の例えが単調過ぎではありますが、「コレはコレ!」「ソレはソレ!」「コレは前もこうだったからこうに違いない!」こういったことも、「ヒューリスティック」による賜物というわけです。

…ですが、今回のこれまでの脱線の話題にあった内容を思い返してみてください。「確証バイアス」の話題がありましたよね。

「確証バイアス」は簡単に言うと、自分が正しいと思ったことには、その考えを訂正する要素を見ようとしないという、一種の先入観でしたね。

えぇえぇ。察しの良い方ですとお気づきのこともあるかと思います。

実はこの「ヒューリスティック」は「確証バイアス」などのバイアス、つまり先入観に引っ張られてしまうということがあるわけです。

言ってしまえば、ある人・場所の常識は、別の人・場所では非常識になりますよね。

各家庭を例にしても、食事中はテレビをつけないという家庭もあれば、団欒の一環としてテレビをつけながら食事を取る家庭もありますよね。

両親には「おはようございます。コーヒー飲みますか?」など敬語で話す家庭もあれば、友達間隔でニックネームで呼び合う家庭もあります。

経験してきた時間という「量」や、接してきた関係性の「質」によっても「ヒューリスティック」は大いに先入観の影響を受けやすいということが分るかと思います。脱線していたかと思っていたら、まさかの合流でしたね。

そもそも、今回は「確証バイアス」をメインに取り上げていますが、他にも様々なバイアスが存在しています。

ざっと挙げてみますと、「内集団バイアス」や「正常性バイアス」、「自己奉仕バイアス」、「後(あと)知恵バイアス」などなど。

「バイアス」という言葉がつくだけでもこれだけ挙げられますね。

東日本大震災でもこれらのバイアスが生じたことで避難が遅れて多くの命が犠牲になってしまったのではないかという事例もあります。これらの中身も次回以降に詳しく書いていこうかと思います。

 

日常生活で見てみると…

このような先入観は、日常生活やビジネスの面でも大きなウェイトを占めています。

例えば、皆さんが赤信号やトイレなどに関わる「ある物事」を判断するときには、これまでに書いてきた「ヒューリスティック」が働いて円滑に対応できるわけです。

比較的「物事」は普遍的なものなので、勿論絶対ではありませんが大きな支障は無いことが多いですね。

ここで、気をつけていただきたいのは「物事」ではなく「人間」が関わってくる場合です。

例を挙げますね。

あなたの職場には各人にデスクがあります。

ある人がデスクから立ち上がり、そそくさと離席しました。

あなたはチラッとその人のデスクを見たところ、デスク周りが煩雑であったり、書類ケースから紙がはみ出していたりしました。

あなたはその光景を見て、どのように感じますか?

「あぁ…きっと自宅も散らかっているんだろうな…」と、このような印象を抱く人が多いかもしれませんね。

 

この印象を抱く過程を紐解いていきますと下のようになります。
「職場というのは公共の場である」
「公共の場では多数の他者の視線がある」
「そのような中では、散らかすなどの行為は考えられない」
「それなのに、あの人はデスク周りを散らかしている」
「公共の場でこの始末なら自宅では一層散らかっているのだろうな…」
簡単に書いてみるとこのような過程を辿るかと思います。

この過程の中に「決め打ち」している箇所がありますよね。聞くまでも無いことですが…
「職場というのは公共の場である」
「公共の場では多数の他者の視線がある」
「そのような中では、散らかすなどの行為は考えられない」
「それなのに、あの人はデスク周りを散らかしている」
「公共の場でこの始末なら自宅では一層散らかっているのだろうな…」
この赤字の部分が個人の解釈によって「決め打ち」されたところですね。この考えは世間的には少なからず不正解ではありません。むしろ望ましいことかもしれませんね。

「…え、何言うてんの?」となるかもしれませんね 汗。
しかしながら、ここで考えていただきたいのは、あなた視点の判断ではなく、「ある人」の視点なんです。「ある人」の抱えていた背景なんです。

以前の記事の「視点移動」でも詳しく述べていますので是非暇つぶしに。

 

では、隠された背景が次のようだったらどうでしょうか。

その「ある人」は、普段から整理整頓が上手く、自宅も整然としています。

その日は、隣の席である整頓下手の同じプロジェクトメンバーが欠勤してしまいました。

「ある人」は、その欠勤したメンバーから必要な書類がデスクの上にあるから探してみてとだけ連絡を受けました。
「ある人」は、自分のではない隣の席に座り、煩雑なデスクの上から書類を探していました。
その途中で、取引先から携帯に着信がありました。
静かな場所で通話できるように、「ある人」はその場から離席しました。

 

一瞬の一コマだけを切り取ったものだとしたら…


いかがでしょうか。あなたの「決め打ち」は全くの見当違いだったという結果になりますよね。

あなたが見たのは「離席した」という瞬間的な一コマを切り取っただけで、それまでの過程までは見ることも知ることも出来ませんよね。

「人間」は「物事」ではないので、絶えず変化して流れていく「流動体」のような存在だと管理人は考えています。

何らかの刺激や環境の変化などの外的因子が働きかけることで、多少なりの変化が生まれると思います。

ですので、あなたが持っている判断の尺度、このことを管理人は「ものさし」と呼んでいますが、その「ものさし」だけで人を判断するのは、大変大きなリスクを孕んでいるということを認識する必要があるのですね。

他人は自分と同じ「ものさし」を持っていないと認識する。

それだけでも、その場を俯瞰的に捉えることができて、思考の視野が拡大していきますよ。

 

大事なのは「視点髙く!視野広く!」ですね!

 

多少以前の記事と重複するところもありましたが、大事なことでもあったので繰り返させていただきました。

この意識は日常生活だけでなく、ビジネスの面でも活用される概念でもありますので是非とも記憶の片隅にでも置いておいておいてくださいね(…ワタシの話です、置かずとも転がしておいてくださいね 笑。)

 

今回のまとめ

・クチコミサイトを見る時点で。勝負は決まっている
・「確証バイアス」は自分の思っているものだけを見ることになる
・バイアスフリーにすることで新たな発見もできる
・バイアスとヒューリスティックの関係は密ともいえる
・ヒューリスティックは生活を円滑にするためにも必要
・一つの常識は所変われば非常識にもなる。
・自分の「ものさし」だけで判断しない意識が思考の視野を広くする

毎度毎度の乱長文、脱線にもかかわらず最後までお付き合いくださった方、誠にありがとうございました。
それでは管理人totomanjuでした。

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